いとしろ暮らしインタビュー

仕事の適地として石徹白を選んだ。そして、妻とこどもと共に、人らしい生活ができるところ

インタビュアー

黒木靖一さん・香里さん のプロフィール

黒木靖一さん(1970年生 宮崎県生)
黒木香里さん(1979年 岐阜市出身)
<お子さん> 美佐ちゃん(2009年生)

2011年5月、岐阜市より石徹白に移住。フルーツほおずき「ひとえ姫」を中心に、無農薬で育てた農産物の栽培・販売を行う「えがおの畑」を起業した黒木夫妻。
靖一さんは、2010年まで外資系IT企業で勤務。お子さんが生まれたその年、体を壊して会社を半年間休業。それを機にかねてより考えていた独立を決め退社。その後、農業と定め、1年間の農家での実習中にフルーツほおずきや石徹白と出会い、目指す農業実践の最適地を石徹白と定めて新たなチャレンジをスタートしました。
http://www.egaonohatake.org/

(2013.10.16インタビュー)

○体を壊したことをきっかけに、独立に踏み切る。一生ものの、本当に必要とされる仕事で起業

―― 黒木さんは有名外資系IT企業を退職されて起業しました。その経緯は?

靖一)私の生まれは宮崎県ですが、育ったのは大阪の京橋です。繁華街で川沿いの堤防やため池などで悪友たちと激しく遊んで育ちました。小さい頃から機械いじりが好きで、サラリーマンにはなりたくない、いつか事業を自分でやりたい、独立したい、と思っていました。

高校は工業高校を選択。卒業後、これからはコンピュータだと思い、外資系の大手コンピュータ会社に就職しました。仕事は大変でしたが、面白かったです。一生懸命働いているといろいろ道も開ける会社で、工場での製造現場、製造エンジニア経験後、社内転職制度を使って製造からサービスへ転進、システムエンジニア、管理職などを経験させてもらいました。今の自分の知識・考え方などはこの20年の会社生活で身に付けさせてもらったものです。

朝5時に起きて、帰宅するのは午前様。きつかったのですが、充実していました。高校時代はラグビーで鍛えていたので、肉体的・精神的苦痛には耐えられる、と思っていました。夜中に帰宅してから、リフレッシュのためにランニングしたりもしていました。

ところが体を壊した。うつ病になったんです。最初は寝たきりのような状態で何もできない、何も考えられない状況が続き、2か月くらいしてようやく動けるようになりました。
体が動かせるようになって、ようやく考えごともできるようになりました。その時、そろそろ周りの期待に応えるのではなく本当に自分のやりたいと思うことに挑戦しよう、そう思ったんです。

―― 奥さんは、ご主人が会社を辞めるのに反対しませんでしたか?

香里)結婚2年後、こどもが生まれた年に、主人が病気になりました。体を壊したのは心配でしたが、生活面では会社にいたほうが安心。主人が辞める、といった時、有給制度もあるし、辞めるのはまだ早いのでは、と。もし辞めるなら、せめて別の会社に就職してほしい … そう思っていました。

でも主人の決心は固かったですね。さんざん話し合って、最後は半分納得、半分あきらめでした。

靖一)病気になって半年後、2010年3月に会社を辞めました。
独立をすることは決意したのですが、さて何をするか? 世の中にとって本当に必要で、生涯をかけられるような仕事がしたいと考えていました。そして家族がいるので、早く収入が確保できるもの。初めはものづくり系のフランチャイズでもやろうか、と思ったのですが、それは妻の反対にあいました。

香里)場当たり的なことは止めてほしい。本気でやりたい仕事を探してくれ、と言いましたね。

―― では、なぜ農業で起業しようと思ったのでしょうか?

靖一)起業にあたって、まずは実際の経営者の話を聞こうと、知人や仕事のツテで、いろいろな方に話を聞きにいきました。1か月で30人くらい訪ねましたね。自分が考えるビジネス案を彼らにぶつけて、意見や情報をもらったり、試金石になっていただきました。その中から「農業」というキーワードが出てきました。それまで考えていたことがいろいろつながって、農業の方向で方針決定したのが会社を辞めて1か月後でした。

いろんな農業の中でも、自然栽培に将来性がありそうだと感じ、まったく知らない世界なので“先生”探しをはじめました。知り合いの紹介でたまたま近くに見えた自然栽培指向の農家さんに2010年4月から修行に入り、田んぼ、畑、果樹、販売など一通り経験させていただくなかで、何をどのくらい作り、誰にどうやって売れば業として成り立つのかを模索しました。やり始めはまったく違う仕事の環境にとまどうことばかりでした。マニュアルや標準書の類はまったくなく、用語もさっぱりわからない。「やればわかる」の世界。
土木作業や機械整備などの幅広い知識も必要なことも知りました。果てしなく続くように思われる地道な農作業。でも続けているうちに、体も慣れてきてだんだんやれる自信が湧いてきました。

ここで「フルーツほおずき」と出会いました。初めてみる珍しさ、見た目のかわいさ、なにより美味しさに魅力を感じました。ただ、研修していた農園では気候があわず、うまく収穫できていませんでした。そして適地を探した。ほおずきの育成にも適した冷涼な高地、農薬を使わなくても害虫の被害が出にくい利点もあります。そしてそのような栽培にも理解を示してもらえる地域が必須条件です。その中で知人から石徹白を紹介されました。

―― 石徹白がいい、と思ったのはなぜですか?

靖一)夏、初めて石徹白を訪れて食べたトウモロコシの味が、まず衝撃的でした。それまで食べたことがないほど、美味しかった。そして、トウモロコシ以外の野菜も美味しかった。農家はプライドがあるので、他の農家がつくったものはあまり褒めませんが、「石徹白の野菜は美味しい」と、ヨソの農家が褒めるんです。それほど石徹白でつくるものが美味い。
無農薬栽培で野菜を育てている稲倉さんもいたし、ここなら自分がやりたいことができる、と思いました。
秋、石徹白の文化祭に参加した後、地元の人が集まる地域づくりの会合の場で、自分がやりたいことをプレゼンさせてもらいました。初めは警戒されていましたね。何回か話をするうちに、空き農地が借りられる、来てもいい、ということになりました。多分一人では受け入れてもらえなかったと思います。家族の力が大きかったです。そして移住を決定しました。

―― 奥様は移住に賛成でしたか?

香里)初めは納得できませんでした。住むのに紹介していただいた家を見に来た1月と3月、家は雪の中  …  どうやって住むの?と思いましたね。だから最初は、主人が一人で単身赴任だろう、と思っていました。

靖一)地域の方には「家族で移住します」と言っておいたので、はじめから移住は家族前提でしたね。準備万端、奥さんのために車も4WDのAT車に買い換えました。

香里)話が進むうちに、だんだん一緒に行かなくちゃいけないのかなぁ…と。じゃあ1年だけ頑張ろう、ダメなら自分だけ帰ろうと覚悟を決めました。(笑)

○人と人とのつながり、家族のつながりの大切さに気づける場所

―― 実際に住んでみてどうでしたか?

香里)雪や買い物の苦労など、来る前からさんざん「大変だよ」と言われていたので相当覚悟してきたのですが、来てみればそれほどではなかったです。まだ2年しか経験していないので、わかったようなことはいえませんが。

米や野菜類は自分たちでも作っていますし、ご近所の方たちからもいただくので、買う必要はあまりありません。欲しいものがあれば、通販があるし、あまり不自由はないです。宅配も毎日来ます。石徹白から出なくても生活ができていますね。

雪おろしも毎日やるのかな、と覚悟していたらそんなこともなくシーズンに5回ほどですみました。大変は大変ですが。

――  田舎暮らしには「自然が豊かで、のんびり」というイメージがあります。石徹白暮らしはいかがですか?

靖一)私は石徹白を「仕事をする最適地」として選びましたので、事業の確立が最優先事項です。それなくして、この先石徹白で生活していくことはかないません。移住してこの2年間は、職場と家の往復のような感じですね。石徹白で暮らしていながら、石徹白の自然を満喫する、というようなことは、まだできていません(笑)。

でも、地域、神社の行事、消防団や壮年団の活動などにも、できる限り参加させてもらっています。地域の行事に参加しながら、少しずつ石徹白での暮らし方を学んでいます。
そこで年配の方たちが聞かせてくれる生の昔話が、今あるこの地の背景を知る上で、とても勉強になります。町では失われてしまった季節感を自分自身、取り戻したように思います。

あと、特に保育園のイベント関係での、先生・父兄の方たちとの交流は、すごく大事だと感じています。石徹白では、保育園と小学校の交流が密というか、同じ建物にあるので、小学校の先生達や子供達、父兄とも交流できるのがとてもいいです。それらのことを通じて、私たちが地域に受け入れてもらっていることを、強く感じます。

奥さん、子供は本当に大事ですね。仕事に集中できるのもそのおかげです。もともと仕事人間ですから、仕事で自分をごまかしたり、言い訳の必要なく精一杯働けて、生活できているだけで幸せです。ただし、何事も独りよがりにならないように気をつけています。家族と一緒の時間が増えたのが、一番大きな、嬉しい変化でしょうか。

日々の生活でも、特に大変なことは感じません。ご近所の人達から色々教えてもらったり、助けていただいていて、本当に感謝しています。

―― 田舎はご近所づきあいが濃いようですが、大変ではありませんか?

香里)来てみて、ここは意外と自分に合っている!と思いました。これまで3回引っ越しをしたのですが、石徹白が一番合っている。自分でもびっくりしています。

自分の生まれたところも比較的田舎なので、人間関係が濃い。以前は、田舎は人間関係が煩わしいのでは、と心配でした。でも都会は都会で、人間関係が希薄。隣に住んでいる人も知らないし、都会の方が不安なんだ、と思うようになりました。

石徹白ではほとんどの人が私たちを知っています。子供の成長も、みんなで見守ってくれて、我が子のようにかわいがって、成長を喜んでくれる。「ちょっと前の日本」のようなところです。そういえば自分の小さい時もそんな近所づきあいでした。自分の経験があるから、石徹白に馴染めたのかもしれません。

○「人間は信頼できる」 ―― こどもにとって最大の財産が得られる場所

―― こどもにとって石徹白の環境は?

香里)こどもは、以前はよく風邪を引いていましたが、石徹白に来たら空気がきれいなので、病気をしなくなりました。体が強くなりましたね。
そして、石徹白ではこどもがのびのびと楽しそうなのが、親として嬉しいです。私たちは忙しくて、なかなか娘に構ってあげられないのですが、保育園の先生たちがとても可愛がってくれます。
地域の人たちもこどもを見守って、声をかけてくれるので安心です。うちの子はヨソのお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんも慕っています。「ねぇねぇ、お父さん」と寄っていって遊んでもらったり。石徹白の男性は子ども好きな人が多いというか、子どもと遊ぶのが上手だと思います。ヨソの子もうちに「お父さん、見て」と寄ってきますよ。
親以外に甘えたり、信頼できる人がいるという環境は子どもにとっても親にとっても心強いものです。

靖一)石徹白は、小学生、保育園の年長から未満児まで面倒を見あっています。こんなところは他に無いと思います。
人間らしい生活ができる場所だと思います。ここでは自然に人々が助け合う、そんな暮らしが、まだあります。ここで育った子供は、人に対する信頼感を体験できる。本来人間は信じあえるものだ、ということを。“石徹白はみんな家族”という言葉がありますが、それは、こどもにとって安心して戻ってこられる、家のような場所という意味。まさに「ふるさと」。そんな場所があることは、将来社会に出て、色々大変な経験をする子供たちにとっても大きな財産になる。そう思います。

―― こどもへの期待は?

香里)たくましくなってほしい。精神的に強い、一人でも生きていける力を身に付けてほしいです。石徹白ならそれが学べそうです。

靖一)何事も人や環境のせいにしない、自立した人間になってほしい。

香里)石徹白には、都会にあるようなものが何もない。それがいいところ。何もないから、自分の頭で考えて、やるんだと思いますよ。それに、都会にはないものが、ここには沢山あります。こどもには本当にいい環境。子育てには最適なところだと思います。

○夫婦協働で、互いの魅力を再発見

―― 起業して、苦労や心配はないですか?

香里)今の生活に満足しています。楽しいです。いろいろな人と関われるのも楽しいですね。会社員の頃には、絶対知り合えなかった人と知り合えるのも新鮮です。
主人と一緒に働けるのも嬉しいです。以前から、知人や会社の同僚に「だんなさんは凄い人」だ、と聞かされていましたが、一緒に仕事をすると改めて凄い、さすがだ、と感心しています。自分に非常に厳しい人ですから、もちろん私にも厳しく、ケンカすることも(笑)。でも仕事に限らず、子育てや普段の生活の中でも、主人から学ぶことが多く、勉強させてもらっています。

靖一)奥さんは仕事のパートナーとして、とても助かっています。経理や顧客対応など、自分もやったことがないのにお願いしていて、大変だと思います。色々ありましたが、今は初めてのことも、楽しんでやってくれているのが嬉しいです。勤め人時代より充実感があるようですね。少しずつですが、やったことの結果が目に見えるので、それが仕事の喜び、継続できる力の元になっているのではないでしょうか。

香里)石徹白に来る前は不安でしたが、来てみたら幸せでした。もちろん収入が安定するといいけど、不安や不満はありません。毎日忙しいですが、悪いストレスが無いんです。でも都会の友達は、なぜなのか、まだ理解できないみたいですね。

―― 将来の夢は?

靖一)まずは今の事業を軌道にのせたいです。3年目にして、ほおずき栽培もめどがつき、販売も本格的に展開できるようになって、すこし形になってきました。
現在はアルバイトの方達に手伝っていただいていますが、やはり地元の方がとても頼りになります。地域での事業は、自分たちだけではできないです。将来的には「えがおの畑」が地域の仕事になり、みんなに協力してもらえる、雇用の場をつくれれば。地域に、日本に、世界に貢献していきたいと考えています。

○石徹白に住みたい人へのメッセージ

靖一)(自身の現状からか、厳しい話ばかりのようで、すいませんが…)
白山はもとももと修験の場で、石徹白はその拠点の一つと聞いています。
のんびりしにくるところではない。仕事も暮らしも大変なのが当たり前。
でもそのおかげで、子供も大人も成長できる。体も鍛えられる。

…  そう思えれば、ここはありがたい場所です。同じことでも、つらいのか、楽しいのか ―― それは、その人の考え方次第です。

もう一つ、移住する人には、どんなことでも「まずは自分達の力でなんとかしよう」とう気持ちが必要だと思います。それがあるから、地域に受け入れてもらえるのではないでしょうか。石徹白に限らず、他力本願ではどこに行ってもやっていけません。地域で、移住者がただの厄介者にならないためにも、自立する心構えが必要です。
そして、頼るべきところでは、素直に頼る(笑)。バランスが大事だと思います。

香里)田舎は忙しいです。そして人間らしい生活ができる場所。冬は寒い、でもそれが自然で当たり前ですよね。暖房を入れた部屋の温度が11度!でもなんとかなりますよ(笑)

(インタビュー:ふるさと郡上会 小林謙一 2013.10.16)