いとしろ暮らしインタビュー

決め手は縁と勢いでした。

インタビュアー

廣中健太さん・詩穂さん のプロフィール

廣中健太さん(1981年生 神奈川県川崎市出身)
廣中詩穂さん(1985年生 宮城県白石市出身)
<お子さん> 那由多くん(2011年生)

「地域おこし実践隊」として、2013年4月に神奈川県川崎市から石徹白に移住した廣中夫妻。ご主人は、食品加工所を活用して地元のトウモロコシなどを使った商品の販売や開発に取り組んでいます。
今年4月に来たばかりの「石徹白初心者」、廣中夫妻にお聞きしました。
(2013.10.16インタビュー)

○石徹白との出会い

健太)石徹白に来る前は、地元の仲間たちと一緒に立ち上げた、ライブハウスの店長をやっていました。もともと農的暮らしに興味があったのですが、移住を決意したのは東日本大震災です。

2011年、息子が生まれた直後に震災が起き、愛知県のホテルに2週間ほど避難しました。川崎に戻った後も、ネットで安全な野菜を探して買ったり、不安が尽きない。いっそ引っ越した方がいいのでは、と本格的に移住を考え始めました。

翌2012年の夏から地方企業へ応募したり、移住促進サイトなどで情報を探しました。探している中で、東京の自由大学「スクーリングパッド  農業ビジネスデザイン学部」を見つけ、参加しました。その講師として10月に来ていたのが、平野彰秀さん。それが石徹白との出会いでした。小水力発電にも取り組んでいたので、面白そう、行ってみたいと思った。石徹白について調べてみると、郡上市の移住サポートを行っている「ふるさと郡上会」主催の「いとしろ暮らし拝見ツアー」が11月に開催されることを知り参加。初めて石徹白に訪れ、自然や人と触れ、いいところだな、と感じました。

――奥様は移住に賛成でしたか?

詩穂)当初はリタイアしたら住んでみたい、というくらいのイメージでした。その後、震災や原発事故をきっかけに意識が変わってきて、安心して暮らせる土地で子どもを育てたいと少しずつ思うようになりました。でも子どもが生まれたばかりで日々の生活に一杯一杯だったので、すぐには動けないと思っていました。暮らしが変わるのも不安でしたね。主人がネットで移住候補地を探して情報を見せてくれるのですが、それでもあまり実感はなかったです。主人が地方企業の試験を受ける頃になって、ようやく移住を覚悟しました。

――移住先として石徹白に決めたきっかけは?

健太)石徹白を訪れ移住への関心は強くなったのですが、やはり仕事が無いと来られない。地方農村でも今後は介護の仕事の需要はあるかもしれないと思い、移住に向けて介護ヘルパーの資格をとりました。石徹白との関係を続けながら数年後に移住できればと当初は考えていたのですが、たまたま石徹白の「地域おこし支援隊」の公募を知り、応募しました。大雪に覆われた石徹白で「キャンドルナイト」が行われた2013年の2月、面接のため再び訪れました。

詩穂)ツアーで石徹白に初めて来たときは、「いいところだな」とは思っても移住先としては正直あまりピンとこなかったんです。私は宮城県生まれで雪の暮らしの大変さを知っていたので、雪が多いのはちょっと…と思っていました。
でも主人と平野さんとの出会いがあって、石徹白へ行ってみたいと思っていたところでちょうどツアーに参加できて、移住を悩んでいた矢先に仕事の募集があってと、タイミングのよさにこれも何かの縁だろうと石徹白への移住を決意しました。

健太)本当に縁を感じましたね。夫婦共に不安より期待が先行する考えのタイプなので、あとはもうノリと勢い(笑)

○石徹白に暮らしてみて

――石徹白に来るにあたって、心配はなかったですか?

健太)不安はほとんどありませんでした。釣りや山登りなど、やりたいことができるのでは、と。今シーズンは何度も釣りに行き石徹白で漁業組合にも入ったし、山登りも経験しました。
仕事もやりがいがありますね。もともと都市と農村をつなぐことに関心があったので、石徹白の歴史や文化をもっと知って、その魅力をみなさんに伝えたいです。まだまだ手探りで地域の方に頼ってばかりですが、支援隊の契約が終わる3年後の自立が、今の目標です。

詩穂)以前はほぼ毎日スーパーへ行っていたので買い物が心配でしたが、今は買いだめをするようにして1週間に1回程度しか行かなくなりました。生協の宅配も利用しています。あとは主人の用事のついでにちょっと買ってきてもらったり。ネットでも買えるし、来てみるとなんとかなりましたね。
あと車の免許を持っていなかったのですが、車の運転は必需だと思って、移住が決まってから自動車学校に通い3週間程で免許を取りました。今では一人で(峠を越えて30分かかる)白鳥町まで行けるようになりましたよ。

健太)家は借家ですが、受け入れてくれた石徹白地区地域づくり協議会が紹介してくれました。もと民宿で9LDKという大きな家です。ありがたいです、広すぎるくらい(笑)

――石徹白の暮らしは?

健太)理想的な暮らしで、困っているところはあまり無いですね。石徹白には近年移住された方が比較的多く、地域と協力体制をとっている。
あと、神社のことなど、地域のイベントが多いですね。神社の雅楽に誘ってもらいました。バンドをやっていたので参加するのが楽しみです。来年は消防団にも入ります。

詩穂)地域づきあいが濃密なのでは、と心配でしたが、石徹白は「つかず離れず」のほどよい距離感です。野菜のおすそ分けをいただいたり、息子と散歩しているといろんな方が気さくに話しかけてくださるのでうれしいです。
それから自宅裏の畑で野菜をつくっているのですが、夏場は野菜を買わなくてもいいほどでした。自分たちで食べる分だけなので、農薬や肥料を使わずに育てています。こういった以前の生活ではなかなかできなかったことができるのもうれしいですね。
また、初めて石徹白に来たときに参加した2年に1度の文化祭や今年9月に開催された運動会など、地域の皆さんで盛り上げるイベントがたくさんあって、川崎に住んでいたころと比べても、退屈することはありませんね。

――石徹白での子育ては?

詩穂)子どもを地域で見守ってくれている感じがして安心です。脱走したうちの子を、地域の方が連れてきてくれたりもします。
石徹白は子どもが少ないのですが、沢山子供がいたとしても結局一緒に遊ぶのって数人だったりするんじゃないかなって思います。小学校と保育園が同じ校舎の中にあるので、小学生が遊んでくれる機会も多く息子も楽しそうですよ。
また石徹白には病院が無く、町の病院までは車で30分です。とはいえ川崎に住んでいた時は車を持っていなかったので、タクシーを呼んだりすると、やはり病院まで30分はかかってしまう。石徹白も川崎も、あまり変わらないのでは?と思いました。

健太)石徹白の大自然でたくましく伸び伸びと育ってほしいですね。

○将来の夢や希望は?

詩穂)石徹白に来てから、いろいろやってみたいなと思う事が増えました。
石釜を作ってパン屋さんをやりたいとか、編み物が好きなので羊を飼って毛糸を紡ぎたいとか・・・。
あとは、地域の知恵や文化を受け継いだ暮らしをしたいなと思っています。

健太)ここに伝わる文化や歴史をもっと学んで、石徹白に暮らす皆さんの役に立てるようなことがしたいですね。
また、地域の方々に農機具をお借りしたり、アドバイスをもらったりして色々とお世話になりながら、移住一年目から畑や田んぼをやらせてもらいましたが、今後は鶏を飼ったり猟も教わってみたい。
石徹白が今後エネルギー自給の道を進んでいくのに合わせ、自分の生活の自給率もどんどん上げていきたいですね。生活を何かに依存したままでは自分の人生を他人に舵取りされているようで居心地が悪い。食やエネルギーなどの自給率を高めるということは、今まで自分が依存していた状況から自立し自由になることだと思います。自由には責任が伴います。きちんとリスクを負わないと何事も楽しめないということですね。まだまだやりたいことは沢山あるけど、とにかく石徹白に来て良かったと思っています。

○石徹白に住みたい人へのメッセージ

『豊かさ』の基準を家族と共有することは大事。
条件が揃うのは『決断』した時。決め手は『縁』と『勢い』!

(インタビュー:ふるさと郡上会 小林謙一 2013.10.16)