いとしろ暮らしインタビュー

移住者ホンネ対談「雪って大変?」「子供の病気が…」「田舎の近所付き合いは」…

インタビュアー

移住実践者のみなさん のプロフィール

どうして石徹白に移り住んだのか。実際に住んでみて、田舎暮らしの魅力、また苦労は ―― 石徹白に移住された子育て世代のみなさんに、ホンネをお聞きしました。

<お聞きした人>(写真左から)
平野馨生里さん(30) 岐阜市出身
平野彰秀さん(37)岐阜市出身
・2011年石徹白に移住。彰秀さんはNPO法人地球再生機構 副理事長。石徹白地域づくり協議会 事務局も務める。馨生里さんは洋裁を学び、石徹白洋品店を開店。

黒木靖一さん(42)大阪府出身
黒木香里さん(33)岐阜市出身
・2011年石徹白に移住。靖一さんの前職は、外資の大手コンピューター会社勤務。「フルーツほおずき」で農業起業し、無農薬栽培「えがおの畑」を経営。

(手前・右)
稲倉哲郎さん(42)愛知県出身
・2003年に石徹白に移住。自然栽培「農園サユールイトシロ」を経営。奥様は石徹白出身。

(2013.2.22 インタビュー)

○石徹白への移住のきっかけ

― みなさんの、移住したきっかけを教えてください。

稲倉)前の仕事を辞めて、次に何かはじめるとき、奥さんの実家が石徹白だったので、石徹白で農業ならできるかな、と考えました。当時、すでに子どもが2人いましたが、石徹白にくればなんとかなるさ、と根拠の無い自信がありました。

平野彰秀(以下:彰秀))学生時代から東京で14年間暮らし、会社勤めをしていましたが、石徹白で小水力発電を導入したことがきっかけとなり、2008年に岐阜市へUターン。。2011年に、石徹白へ移住しました。

平野馨生里(以下:馨生里)石徹白にはじめてきたのは、2007年の夏でした。小水力発電のプロジェクトをはじめたのがきっかけだったのですが、そのときに直感で「ここに住もう」と思いました。

黒木靖一(以下:靖一)コンピューター会社に勤めていましたが、独立するために、前職を退職しました。当初は、農業をしたいと思っていたわけではなかったのですが、「一生やれる仕事がいいな」と考えた結果、農業を選択しました。
農業を始めるために1年間岐阜市で研修をした時に、石徹白に来る機会がありました。夏にとうもろこしを食べたり、石徹白小学校の文化祭に来たりしていました。その頃、「フルーツほおずき」に出会い、その美味しさにほれ込み、これをやるなら涼しい石徹白がいいのでは、と移住することにしました。
移住実現にあたっては、窓口である石徹白地区地域づくり協議会があり、空き家や農地を紹介してもらいました。

○移住には勢いが必要

― 旦那さんの移住希望に奥さんは反対しませんでしたか?

黒木香里(以下:香里)反対してもやる性格なので、あきらめました(笑)。実際移住するって決まっても、まだピンときてなかった。本当にここに住むのかなぁ~って

稲倉)奥さんは石徹白にペンションを建てたい、とか、たわいのない夢があったみたいだけど、実際になると本当に行くの?と不安になっていましたね。

― 移住にあたり、ご両親は心配しませんでしたか?

稲倉)自分の親は心配していなかったけど、奥さんの親は心配していましたね。でも考えても未来が見えるわけじゃないから、エイヤ!で来ちゃった。

彰秀)結婚と同じで、勢いがないと、来れないかもしれませんね。

稲倉)自分は奥さんの実家というつながりがあったから踏み切れたけど、何もつながりがないところに来た人たちは、よっぽど無謀かも(笑)。

靖一)自分は考えて、見通しをある程度持ってからきましたよ(笑)逆に子どもが小さいから来られたと思います。子供にお金がかかるようになる前に、事業を軌道に乗せたいと思っています。

彰秀)両親はもちろん反対でしたが、「石徹白で地域づくりをやりたい」という決意は固かったので、迷いはありませんでした。昨年末に子どもが生まれましたが、不安とかは全くありません。

靖一)いくら決意を固くしても、絶対反対する人はいます。でもそこで止めるのか?そこは、本人の決断だと思います。

香里)親から、雪が多いことは心配されました。自分もペーパードライバーで不安でした。まぁだめなら単身赴任してもらおうとか思ったし、1回試して駄目だったら帰ろうと思っていました。来てみたら、心配なかったんですけどね。

○石徹白で生計をたてる

― 石徹白での仕事は、農業が主なのでしょうか?

稲倉)いや、そうではないです。本来はこの地域は、農業では生計を立てていない。米や野菜など、自家用のものがほとんど。かつては、交通の便も悪く、生業とするのは無理だったのだと思います。今は物流が整備され、作物が売れる時代になりました。

靖一)石徹白は遠くて不便なイメージがあるけど、それほど不便というわけではないと思います。高速道路のインターが近いですし、もっと不便なところはいっぱいありますよ。
また、便利で良い農業適地は他にもいろいろあったのですが、自分の描いたイメージで農薬ができるのは石徹白でした。

稲倉)転職するとき、周りから「農業は年を取ってからやるもんだ」と言われた。でも自分は楽しみでやるわけじゃないし、若いうちにある程度体ができてないとダメだ、と思う。始めるなら若いうちがいいと思います。

香里)都会にいた頃の暮らしは、主人が12時に帰宅して、朝は5時に出かけて行くとかで1週間顔をあわせないこともありました。移住する前は生活がどうなるか心配していたけど、来て良かったです。今はまだ、稼ぎが不安定ですが、それ以外の不安はないですね。

○石徹白の雪は、意外と大変では無いかも・・・

― 石徹白の暮らしを思い描くとき、とにかく雪が大変、とイメージがありますが。

馨生里)うちの旦那は雪をかまうのが好き。きれいになると達成感があるみたいです。

彰秀)家を買ったときが大変だった。まだ住む前だったので、住んでいないときに雪下ろしをするのが大変でしたね。住んでからは、小まめに下ろすので、まだましです。

香里)冬は大変、と来る前に石徹白の人からさんざん脅されていたので、覚悟してきました。雪おろしとかは毎週やならないといけない…と思っていたのですが、実際来てみたらこんなもんか、と肩透かしにあったみたい。

― 石徹白は、移住者が入りやすいところなのでしょうか?

靖一)入りやすいと思います。たとえば、お祭りも普通はヨソ者が出にくいものだと思いますが、石徹白では、移住してきたばかりの自分にまかせてくれたりします。

香里)溶け込みやすい地域ですね。こどもがいたこともありましたが、私はすっと入れました。

○人と人の程よい距離感 ~ 石徹白暮らしの魅力

― 石徹白で暮らしていて、いいな、と思うことは

香里)皆が自分たちを知っていてくれて、声をかけてくれます。都会だと同じ世代としか会う機会がありませんでした。自分も田舎育ちなので、都会の同世代だけとのつながりというのに、違和感を持っていました。
最初は、田舎はものすごく干渉されると思っていてガードしていました。でも石徹白はそんなことはなく、程良い距離感でした。

稲倉)石徹白は都会っぽいかも。あまり深入りしないし、お互いある程度距離があると思います

香里)教えてほしいと言えばなんでも教えてくれるけど、無理やり、ということはないですね。
ササユリの会(=婦人会)もすごくわずらわしいイメージがあって、移住1年目は入っていなかったんです。でも情報が知りたくて入らせてもらったら、みんなも忙しく、それほど大変なこともなかったです。入ったことによって行事にも積極的に関われるようになりました。地域とのつながりもできて、ありがたいです。

― 地域の集まりに参加すると、なじみやすいんですね。

香里)冬は、地域の宿泊施設でバイトしていますが、そこでもいろいろなことを教えてもらえます。地元で働くのもいいですよ。
また、お嫁さんは外の人が多いので、感覚が似ている。集まると、いろんなトークで盛り上がります(笑)。主人の持ってくるネタと、私がもってくるネタは違いますね。

靖一)二人の情報を合わせると、地域のことが見えてきますね(笑)

― 生活の不安はありませんか?

香里)買い物は生協とかで買いますが、3週間位買い物していない。夏場は30分でスーパーに行けます。

稲倉)病気も、熱くらいなら寝かせとけば治る。困るのは怪我くらいだけど、幸い、そういう大怪我は、いまのところ、していません。

靖一)うちの子はこっちにきてから、病気をしなくなりました。空気もきれいだし。逆に、下(町)でもらってきて具合悪くなって、石徹白に帰ってくると治るとかとういうかんじですね。

○石徹白の教育事情

― 子育てをする環境としては、石徹白はどんなところですか?

香里)地域で見守ってくれて、いいところです。困ったときに預けられる家(友達の家)が何軒かあったり、智恵美先生も忙しい時に面倒みてくれたり、ご飯食べさせてくれたり。
他の家は3世代居住でおじいちゃん、おばあちゃんが面倒を見てくれるけど、自分たちは単独だから、周りの人たちが、気にかけてくれています。

靖一)子どもは天気がいいと、ほとんど外で遊んでいます。上の子と下の子が一緒に遊んでいた昔の子供の姿が、石徹白にはまだありますね。

― 中学、高校になると、遠方まで通わなくてはいけなくなりますが。

稲倉)中学になるとバスで通学することになります。部活の練習などで、バスの時間が合わないと親が迎えに行くときも。野球やサッカーなど、冬はグラウンドを使えないので、練習ができるところまで遠征に行ったりということもあります。
高校になって郡上高校(八幡町)に入学すると下宿になるので、週末は迎えに行っているようです。

― 大学へは行かせたいですか?

香里)私は大学に行きましたが、自分で行きたいと思ったから進学しました。子どもにも自分自身で好きな道を選択してほしいと思います。親としては、もし大学に進学するなら、親に頼らず自分で学費を稼ぐくらいの甲斐性を持ってほしいな、とは思います。

稲倉)大学も仕事も、本人次第だと思います。石徹白でできることがあれば石徹白に残ればいい。もし本人がやりたいことが、たとえばパイロットなど、石徹白でできないのなら、それはそれでいいと思います。

○こどもは自然の中でのびのび。お金だけではない大切なものを学べる場所

― 最後に子育て環境について、石徹白ならではの魅力を教えてください。

香里)石徹白に来たらすごく良かった。こどもにとてもいい自然が、たくさんあるので、五感を刺激されます。

靖一)誘惑がない。コンビニとか、アイスとか、チョコとか。駄菓子屋みたいになっている農協も、お店の人はバイトでは無くて地元の人、というのもいいですね。

稲倉)都市部での子育ての話を聞いていると、世知辛い世の中だなぁと思います。児童館でトイレに大人が一緒じゃないとだめとか、近くの塾にも迎えに行くとか。家は2重ロックとか。

馨生里)都会だと声がうるさい、とか怒られるけど、ここなら思いきり声を出させてあげられます。

香里)都会では、子どもに対してみんなが過保護、っていうのにも違和感がある。子どもの息が詰まりそうです。
石徹白だとそこまで監視してないし、自然相手だから何が危険だとか自分で学んでいくんじゃないかな。都会だとお金でなんとかできるけど、ここは不便なこと、思うようにならないことが多い、と小さい頃から学ぶ機会がある。こういうことは都会では学べないので、石徹白の子は幸せだな、と思います。

(インタビュー:ふるさと郡上会 小林謙一 2013.2.22)