いとしろ暮らしインタビュー

「ここだけは大丈夫」っていう、安心感がある場所。

インタビュアー

鴛谷智恵美さん のプロフィール

石徹白生まれ、石徹白育ち。石徹白で4人のお子さんを育て、石徹白保育園で保育士をされている「ちえみ先生」に、石徹白での子育て事情をお聞きしました。

鴛谷智恵美さん(1962年生 石徹白出身)
大学生から小学生まで、4女の母。石徹白保育園に勤める保育士で、みんなに「ちえみ先生」と呼ばれ、親しまれている。

(2013/2/22インタビュー)

○とにかく石徹白が大好き

―― 石徹白で就職しようと思ったきっかけは?

鴛谷)小さいときからずっと石徹白で仕事がしたいと思っていました。石徹白でもできる仕事、ということで保育士の資格を取ろう、と考えました。
3年間名古屋にいたけど、全く面白くなかったんです。住みたいと全く思わなかった。卒業してすぐには就職できなかったけど、とにかく帰りたくて、石徹白に戻ってきました。石徹白で縫製の内職をしたりして、保育士の職が出るのを待っていました。その時、運よく高鷲(※郡上市内)で保育士の空きが出て、保育士として、就職することができました。その後、昭和60年に石徹白保育園で空きが出て、石徹白に勤めることになりました。

―― 石徹白での暮らしは不便ではないですか?

鴛谷)自分の子供の子どもの頃と比べると、なんて便利なの!と思います。昔は母親が運転できなかったし、白鳥(最寄りの町)へ買い物に行けない。月1でも行けなかった。
でも今は、行こうと思えば週に何回でも行けるし、各務原市のショッピングモールにも気軽に行けます。高速が出来て、とても便利になりました。不便ということはないと、私は思います。

―― 4人のお子さんを育てていますが、石徹白での子育てで困ったことは?

鴛谷)おじいちゃん、おばあちゃんも一緒だったし、皆で育てていけばいい、という感じでした。特に、困ったということはありません。
病院まで遠いのは事実ですが、幸い、ヒヤっとしたことは、いままでありません。石徹白の子供たちは、元気で、健康です。アトピーの子もいない。水と空気がいいからだと思います。

―― ご自身の子供たちは、将来石徹白に住んでほしいですか?

鴛谷)子供たちは、高校を卒業して、行きたければ何処へ行ってもいいと思っています。大学に行くのも自由だし、海外に行ってもいい。「石徹白に、帰ってこい」とは言いません。好きなら帰っておいで、と思っています。
うちの子たちは、小さいときは、「家の裏に家を建ててと住みたい」、と言っていました。今は、上の子2人は、郡上に住みたいと思っている。長女は今、大学生で、愛知県で寮生活をしているけど、都会はたまに住むだけで十分みたいです。最近の若い子は「郡上がいい」っていう子が多いと思います。

○四季を感じ、季節のにおいが分かる子に育つ

―― 子育ての環境として、石徹白の魅力は、どんなところですか?

鴛谷)都会では、隣近所を気にして、大きな声を出せないということもあると思いますが、石徹白では、大きな声が出せます。子どもたちは元気一杯に遊んでいます。思いきり声を出すので、うちの子は、普通にしゃべっていてもうるさいくらいです(笑)。

―― 石徹白で、どんな子どもが育ってほしいですか?

鴛谷)季節のにおいがわかる子に育ってほしいです。四季をにおいで感じられるといいなぁ、と。例えば、雪が降りそうな感じのにおいがある。保育園の子でも、「雪のにおいがする」と分かる子もいます。
保育園の散歩しているときにも、子供たちに、「においがするね」と声をかけています。

○「石徹白だけは大丈夫」という安心感

―― 最後に、鴛谷さんが石徹白を好きな理由を教えてください。

鴛谷)なんで石徹白が好きなんだろう――。
「世界で何があっても石徹白だけは大丈夫」という確信があります。なぜだかわからないけれど、ここにいると安心して暮らせると思うんです。

(インタビュー:ふるさと郡上会 小林謙一 2013.2.22)